北越戊辰戦争に敗れ困窮した長岡藩に、見舞いとして送られてきた百俵の米
長岡藩大参事(県の副知事)の小林虎三郎は「教育こそが最終的には地域を繁栄させ、人々の生活をよくする」という信念があった
この米を藩士らに分配せずに売却し、国漢学校設立資金の一部に充てた
「米百俵」とは「教養を広めて人材を育する」
上甲先生(青年塾)からこの本を読んで演劇をしなさいというお題をいただいた
42才の当時は理屈ではわかるが腑に落ちぬまま言われたことをただこなしていた
しかし今になりポールjマイヤーと全く同じ考えであることが腑に落ちた
自己教育がこの国をより良くすることが間違いないと確信した