モティメルNo.26『創業121年』

あってもなくてもいいものはなくていい
ないよりあったほうがいい
という程度のものもなくていい
なくてはならないことだけに集中特化する
(吉野家の創業者・松田栄吉)

———–

1899年
東京・日本橋の魚市場に誕生した吉野家
今年121年目になる

お客さんは市場で働く職人さん
仕事は重労働ろくに食事をする時間もない

料亭で働いていた創業者・松田栄吉は
当時まだ高級だった「牛めし」に目をつけ
職人さんに腹いっぱい食べてもらうと
牛丼をスタートさせた

これまでにさまざまな危機を乗り越えている
・1923年(大正12年)関東大震災
・1945年(昭和20年)東京大空襲
で店舗を焼失
食材も十分に揃わぬ状況下
屋台で商売を再開
・1973年オイルショックと
牛肉の輸入を禁止されたため
アメリカに吉野家海外1号店をオープン
・1978年200店舗を突破
100店舗突破からわずか1年のことだったが
急速な店舗展開により資金繰りの悪化し
1980年倒産
・1993年記録的な冷夏で日本中が米不足
・2003年BSE問題で年末に牛丼販売の休止
約1年後の2005年2月11日再開
↑↑↑
10年から20年に1回とんでもない
危機が起きている

これらの危機を乗り越えて
吉野家は強くなっていった

そのベースになる考え方が
「なくてはならないことだけに集中特化する」

最初は「はやい、うまい」をモットーに
牛丼以外のメニューも提供していたが
牛丼のみにし具材も焼豆腐、筍をやめて
牛肉と玉ねぎだけにし
とにかく「はやさ」にこだわった

ご飯にまんべんなくたれをかけられるように
47個の穴が開いたおたまを開発したりして

とうとうその速さは
お客が店に入って
牛丼提供までなんと15秒

つくりおきは一切なしで15秒
というまでになった

創業当時は
「早い、うまい」
↓↓↓
「早い、うまい、安い」
↓↓↓
「うまい、早い、安い」
↓↓↓
現在は
「うまい、安い、早い」
顧客にニーズに合わせ変化させていった

「あってもなくてもいいものはなくていい」
「なくても気付きかれもしないようなものなら
なくなったっていい」と
語っていた創業者・松田氏

吉野家を
『余人をもって代え難し』という存在で
有り続けようとしていたから
100年以上も皆に支持されているのだと感じる

———-

#SMIプログラムsuccessmotivationinstitute
#自動成否装置
#同じ努力で2倍の成果
#積極的肯定的心構え
#鼻の差
#今月のビジュアリゼーション
#ポールjマイヤー

最近の投稿